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Echo & The Bunnymen

 Echo & The Bunnymenは80年代、もっとも評論家やミュージシャンによる評価とセールスのギャップが大きかったバンドと言っていいだろう。リヴァプール出身のこのバンドはNeopsychedelicムーブメントの元祖ともいわれ、現在でもColdplayのように公然とその影響を口にするバンドも多いものの、同時期に活躍した多くのバンドと比べ、チャート上で華々しい成功をおさめたとは言いがたいものがあった。

 77年5月、後にバニーメンのフロントマンとなるIan McCullochはJulian Cope(後にThe Teardrop Explodesを結成)とPete Wylie(後にWah!を結成)と共にCrucial Threeというバンドを結成。これは数回のリハで解散してしまうが、マックとジュリアンは78年7月、A Shallow Madnessを結成。しかしマックはすぐに袂を分かち、78年の夏に地元リバプールのclub Eric'sの女子トイレで出会ったギタリスト、Will Sergeantと、彼の友人のLes Pattinsonをベースに迎え,ウィル所有のEcho社のチープなドラムマシンをバックに78年の終わり頃、club Eric'sでデビューを果たす。ちなみにEcho & The BunnymenのEchoとは、このドラムマシンからとったといわれている。
 バンドはドラム不在のまま,Bill Drummond(ex.Big in Japan , Lori & The Chameleons , KLF)の設立した地元のインディ・レーベルZooレコーズから79年5月にファーストシングル"The Pictures On My Wall"をビルとDavid BalfeのThe Chameleonsコンビのプロデュースによりリリース。この曲はダークで美しいメロディを持った名曲だが、後にレコーディングされ直されたバージョンのようなサイケ感は無く、あくまで当時のポストパンク的雰囲気のアグレッシブでチープなサウンドである。このシングルのB面にはジュリアンとの合作の"Read It In Books"が収められていて、一方のジュリアンも"Books"というタイトルで2バージョンをリリースしている。これら「Echoドラム期」にレコーディングされたバージョンは、後に"The Peel Sessions"としてリリースされた。
 この頃、Pete de Freitasがドラマーとして加入。彼は他のメンバーと違い、ミドルクラス出身で大学に進学するか、バンドに参加するかで迷っていたとも言われている。

 80年5月、 WEA傘下のコロヴァからメジャーにおけるファースト・シングルとなる"Rescue"をリリース(UKチャート62位)し、同年7月、ファースト・アルバム"Crocodiles"をリリース。批評家の賞賛を受け、チャート・アクションも最高17位と当時の新人バンドとしては、そこそこのスマッシュ・ヒットとなる。このアルバムが出た当時、バンドは「The Doorsの再来」と評された。これはマックがThe DoorsやVelvet undergroundの影響を公言したためと思われるが、サウンド面における共通項はあまり見受けられない。むしろポスト・パンク期のちょっとひねくれてダークでアグレッシブなロックとしてみるべきサウンドである。大学で音楽理論を学んだメンバーがいたドアーズや、職業作曲家だったルー・リードや現代音楽家だったジョン・ケイルのいたヴェルヴェッツのような音楽を、パンクに触発された楽器の弾けないメンバーで再現することは不可能であった。ドアーズやヴェルヴェッツのようなサイケデリック・バンドの影響はサウンド面というより、「幻想的でダークなものに目を向ける」という精神性において発揮されていたと見るべきであろう。しかしながら、このアルバムの疾走感とみずみずしさは、今でも色褪せることの無い輝きを放ち、粒ぞろいの名曲で捨て曲なし、人によってはこのアルバムをベストに押すこともある。このアルバムには"Do It Clean"の7インチがおまけでついていた。同年9月、"The Puppet"をリリース。この曲は印象的なギター・リフから始まるポップな曲だが、B面に収められた"Do It Clean"の方がダイナミックで印象に残る。


 81年4月、4曲入りシングル"Shine So Hard"リリース。これは同名のレコーディングライブ映像のサントラということでリリースされたが、彼らのシングルとしては初のトップ40入りのヒットになった。ピートのドラムが印象的な"Zimbo"(後に"All My Colours"と改題)、ウィルのヒステリックで装飾音的なギターが冴える"Over The Wall"等、聴きどころの多い名盤で、長らく廃盤だったが、後に"Crocodiles"のリマスター盤のボートラに収録された。
 81年5月セカンド・アルバム"Heaven Up Here"リリース。 (UKチャート10位)
 このアルバムはサイケデリックな雰囲気に包まれ、トータルアルバムとしてのできはすばらしく、ネオ・サイケというジャンルを確立した名盤と言える。特に冒頭の"Show Of Strength"から"Over The Wall"までの流れは、アルバムジャケットのような凍てついた空を引き裂くテンションを持ち、最高にクール。後半の暗くダウナーな雰囲気も、この手の音を好むものにとっては、たまらないものがある。だがいかんせんシングルカット向けの曲は少なかった。あえて言えば"Over The Wall"か"With A Hip"あたりだったと思うが、彼らがシングルカットに選んだのは"A Promise"。81年7月リリースのこの曲は繰り返しのミニマルなフレーズと多重録音で重ねられた装飾音的ギターという「サイケとしては」はっきりした特徴を持ち、ある意味アルバムを象徴する曲とは言えるものの、曲調は地味でUKチャートは49位とややふるわず、この頃からアルバムは売れてもシングルが売れないという傾向が見えてくる。


 この時期は課外活動に活発な時期で、コンピレーションでは"Urgh - A Music War"、"Life In The European Theatre"、"To The Shores Of Lake Placid"(Zooレーベルのコンピ)、"WOMAD: Raindrops Pattering On Banana Leaves"(Royal Burundi Drummersとの共演)などでバニーメンの名前が見られる。ウィルはこの頃、ソロ・アルバム"Themes For Grind"をリリース。サントラらしいが、地味な内容。同時期にシングル"Favourite Branches"もリリース。
 82年5月、シングル"The Back Of Love"をリリース。この曲はポップなメロディを持ちながら、バニーメン特有のエッジの効いた攻撃性を備えた名曲で、UKチャートで19位と、まずまずのスマッシュヒットとなる。激しいギターのカッティングから始まり、ストリングスが激しく絡まり幻想的な曲調に転じるスタイルは、これまでのキャリアの集大成的なサウンドであり、かつ「一皮むけた」感がある。
 そして翌83年1月にはシングル"The Cutter"をリリース。この曲は彼らのキャリアで最大のヒットとなり、チャートは8位まで上昇。印象的なシンセのフレーズから始まり、かっちりしたリズムセクションに続いてウィルの鋭いカッティング・ギターが絡まり、マックの伸びやかなボーカルが乗る。サビはシンセも絡んでとてもドラマチック。まさに絶頂期を思わせる。続いて同年2月サード・アルバム"Porcupine"リリース。先行シングルの"The Cutter"で幕を開け"The Back Of Love"が続き、"Porcupine"のような美しいメロディの名曲を挟み、シンプルで幻想的な"In Bluer Skies"で幕を閉じるこのアルバムは、ファーストの激しさととセカンドのサイケな世界を美しく融合した、ある意味バニーメンを象徴する内容だったと言える。そのためか、このアルバムをベストに押す人は多い。チャートアクションは現在に至るまでの彼らのキャリアの中で最高の全英2位。


 続いて同年7月、シングル"Never Stop"リリース。 (Discotheque)とサブタイトルをつけられたこの曲は、パーカッシブで狂おしいストリングスに、ウィルの細かいギターやキーボード、パーカッションが幾重にも重なるユニークなスタイル。名曲と言っていいできで意欲作とは言えたが、当時のバニーズファンは若干ひいたのか、ポップな曲調にも関わらず、チャートは15位どまり。この頃からバンド目指す方向性と古くからのファンの期待するものの間に若干の意識のずれが生じ始めたのかもしれない。マリンバ風のシンセ(?)から始まるバージョンとストリングスから入る2バージョンがリリースされ、前者は彼らのベスト盤"More Songs To Learn And Sing"に収録され、後者はリマスター盤の"Porcupine"のボートラに収録されている。
 翌84年1月、シングル"The Killing Moon"リリース。美しく幻想的なメロディを持ったこのバラードは、12弦ギターやブラシによるドラムプレイなど、アコースティックで成熟した曲調で、彼らの新境地を開拓したと言える。チャートアクションも全英9位と、"The Cutter"に次ぐ順位で、まずまずとは言えた。
 この年の1月、バニーメンは初来日。日本でも熱狂的に迎えられた。当時このクラスの外タレは新宿厚生年金や中野サンプラザ等の2千人規模のホールですら、満員にすることはめったに無く、筆者は高をくくっていたところ、発売初日の数時間でチケットは売り切れ、涙をのむ。ところがなんと秋にも再来日。こちらはなんとかチケットを確保。両方を見た人によれば初来日時に比べてよくなかったという意見もあったが、充分に満足のいくパフォーマンスだったように思う。この初来日記念版として5曲入りの12インチ・シングル「ネヴァー・ストップ」が2月にリリースされた。
 同年4月、シングル"Silver"リリース。この曲はアコギとストリングスが美しく絡まる名曲と思うが、バニーメンにしては明るい曲調なのが災いしてか、チャートでは最高30位とふるわず。7月リリースの"Seven Seas"が同様の曲調でアルバム発売後のシングル・カットだったにも関わらず、限定盤を出す等、テコ入れの甲斐もあって16位までいったことを考えると、同様な工夫が必要だったのかもしれない。どうもプロモーションの仕方がうまくなかったという点は悔やまれる。
 とはいえ、84年5月にリリースされた、彼らの4枚目のアルバム"Ocean Rain"の内容がすばらしかったことは間違いない。 サードアルバムから続くストリング・セクションを大胆に導入した路線を踏襲しつつ、"The Killing Moon"で示された大胆なアコースティック路線は、他のどのバンドも獲得し得なかった至高の輝きを放つ。冒頭の"Silver"に始まり、一つとして捨て曲が無いまま"Ocean Rain"までたどりつく、青く透明な世界。楽器もろくに弾けなかったリバプールのくそガキたちがたどり着いた聖なる境地。たとえそれが若さ故の一瞬だけのマジックで、永遠に失われてしまったとしても、その儚くも輝かしい思い出は永遠に失われることは無いだろう。全英チャートは4位と前作より劣るものの、それはこれが単純に「ロック」というくくりで見るべきものではなかったことに起因する部分もあったからではないかとも思われる。


 しかし、この頃の見た目の輝きとは裏腹に、バンドは"Ocean Rain"のレコーディング前後からぎくしゃくし始める。マックはフランスでのレコーディング中、他のメンバーと別行動をとるようになる。そして84年12月にソロ・シングル"September Song"をリリース。この曲は古き良き時代のバラードのカヴァーで、大仰なストリングスにゆったりしたマックのボーカル。悪くはないが、あくまでレナード・コーエンのファンを公言する彼の「お遊び」だろうと、ファンは受け止めた。後に意外とマジだったと気づかされるのだが…。
 翌85年は11月にゆったりしたダンス・チューン・シングル"Bring On The Dancing Horses" (UKチャート21位)とベスト盤"Songs To Learn And Sing"(UKチャート6位)をリリースした他に表立った行動はなかった。これに先立って、4月にお忍びでスカンジナビアツアーをしたものの、これは彼らのルーツとなったバンドのカヴァーがメインで、ある意味疲弊したバンド内の関係を修復する意味もあったといわれている。ここでカヴァーされたバンドはヴェルヴェッツやドアーズに加え、Television、the Rolling Stones、Talking Heads、Bob Dylanなどで、一部は後にミニアルバム"New Live And Rare"等に収録された。
 そんな中、突如としてピートがバンドを脱退。元Deaf SchoolのTim Whittaker
とパーカッション・ユニットSex Godsを結成。バンドは元Haircut 100のドラマー、Blair Cunninghamを迎え、新作のレコーディングをする。しかし86年ピートが復帰し、結局彼のドラムで新作はレコーディングし直される。このアルバムは87年7月"Echo & The Bunnymen"というセルフタイトルをつけられリリースされる。チャートこそ、前作同様の4位まで昇り、アメリカでもそこそこヒット(51位)したものの、かつてのマジックは失われてしまった。このアルバム自体の内容は、なかなかポップで、少しおしゃれで神秘的なサウンドといったところで、決して駄作というわけではない。これが他のバンドだったら、ここまでの失望はされなかっただろう。だがいかんせん、前作で見せつけられた張詰めたテンションの向こうに広がる、広く輝かしい世界を期待したものにとっては、アントン・コービンのジャケット写真に象徴されるような、荒涼とした砂漠のようなサウンドに映った。このアルバムからは6月に先行シングルとして"The Game"(UKチャート28位)、プロモーション的変則リリースの形で何種類かの"Bedbugs & Ballyhoo"、"Lips Like Sugar"(UKチャート36位)等がリリースされている。


 この頃、遅ればせながらアメリカで売れることの重要性に気づいたバニーメンはNew Orderと交互にトリを務めるアメリカ・ツアーを決行。かねてよりバニーメンのファンと公言していたバーニーはじめNew Orderとの関係は良好だったものの、両バンドはサポートのGene Loves Jezebelが相当気に喰わなかったらしい。このツアーは"Lips like sugar"のスマッシュヒットもあり、好評をはくしたものの、かつてのような切れのある演奏は見られなかったという評論家の声もあり、ビッグ・マウスといわれたマック自身も自信を失いつつあった。バンドの他のメンバーやレコード会社は、このままツアーを繰り返していけば、アメリカでもブレイクできると思っていたようだが、ツアーに飽き飽きしていたマックとの間に溝が生まれる。マックはこの時期に対アメリカ向けの戦略の一環としてリリースされた、ドアーズのカヴァー"People Are Strange"(映画「ロスト・ボーイ」のサントラ)のできの悪さにもうんざりしていたようだ。バンドが露骨にアメリカよりな戦略を立てる一方、お膝元のイギリスでは、ツアー・チケットが売れ残るという、かつてのバニーメンからは信じられないような状況も生まれていた。そんな折、88年4月にバニーメンは再来日する。このツアー中にマックの父が亡くなり、マックは急遽帰国。4月26日の大阪厚生年金会館でのライブが、オリジナルメンバーのバニーメン最後のライブとなった。この年、マックが脱退。
 残りのメンバーはマック抜きで活動を続けることに決め、デモテープを作り始めるが、その矢先の89年6月14日、ピートがロンドン北部の自宅からバイクでリバプールに向かう途中、乗用車との衝突事故で亡くなってしまう。享年27歳だった。彼はバンド内で唯一の「まともな」ミュージシャンであり、バニーメンのサウンドは彼のちょっと前ノリで手数の多いユニークなドラミングによって支えられていた部分も大きかったともいえる。それだけに彼の死によって失われたものは大きかった。これでオリジナルメンバーによるマジックの復活の可能性は、永遠に失われてしまった。
 残されたウィルとレスは元St. Vitas DanceのNoel Burkeをボーカルに迎え、新たにDamon Reece(Dr)、Jake Brockman(Key)を加えた5人のメンバーで再出発をはかる。
そして90年11月に"Reverberation"がリリースされたものの、何のマジックも起こせないまま、バンドは消滅してしまう。

 一方のマックはソロ・アルバム"Candleland"を89年にリリース。92年にはセカンド"Mysterio"をするものの、ぱっとしなかった。
 その後、94年にマックとウィルはElectrafixionを結成。数枚のシングルとのアルバムを1枚出すが、あまり話題になることも無かった。
 その後97年、この二人にレスが合流。再びバニーメンとしての活動を再開する。同年リリースのアルバム"Evergreen"はUKチャートの8位にまで昇るヒットとなったものの、続く99年リリースの"What are You Going to Do with Your Life?"は21位とふるわず、レスは母の介護のため脱退。
 以降01年に"Flowers"リリース、05年に"Siberia"リリースとマイペースな活動を続けている。


The Very Best of Echo & the Bunnymen: More Songs to Learn and Sing
DVD付きのベスト盤


とにかくより多くのものを聴きたいなら"Crystal Days 1979-1999"がお勧め。今までは入手困難だった"John Peel Session"の音源等も聴くことができる。
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テーマ:洋楽ロック - ジャンル:音楽

  1. 2008/12/31(水) 19:33:01|
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